碧雛蜜柑

登ったり攀ったり遡ったり走ったり滑ったり食ったり

作った山のカレンダーで2021年を振り返る

2023年を目前にしたこのタイミングで、あえて2021年の山を振り返る。
2022年の振り返りは2023年になってから時間あるときにやります。

去年のはこちら

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1月

 

2020年12月~2021年3月の間は長野県白馬村でホテルスタッフの住み込みバイトをしていた。
目的としてはスノーボードの上達ということにしていたが、遅れてきたモラトリアムというか、要はせっかく会社をやめたからもうちょっと遊びたいというひどく稚拙な理由だった。
あまりスノーボードの技術は上達しなかったが、面白い人にたくさん会うことが出来たし、楽しい経験も出来てとても良かった。
この写真はホームゲレンデである八方尾根スキー場のゲレンデトップから唐松岳方面へと向かう道中で撮ったものだ。
BCの練習としてひとまず行けるところまでスプリットボードでシール登高を行い、時間と斜面を見て尾根をそのまま滑って戻ってくることが目的だった。ただせっかくなのでカメラも持って行ったところ、これが見事な天気だったため主軸は撮影に変わってしまった。とはいえ天気だけが理由ではない。八方尾根は風が強いことが多く、シュカブラがよく見られる。
この日はトレースとシュカブラしかないような状態で、自分ではこのガリガリになった表面を気持ちよく滑ることは難しそうだった。そのため撮影がメインとなった。
雪の白馬岳にいつか行ってみたいと思いながら、その遠い頂をファインダーに捉えることが精いっぱいだった。

 

2月

2021年2月、そろそろ今後の自分の身の振り方を決める時期だった。
いろいろ悩んだ結果、首都圏でサラリーマンに復帰することを選んだ。
就職活動を始めてからはあまりゲレンデに滑りに行くことも出来なくなってしまったが、それでもこのシーズンのうちにBCには行きたいと思っていた。
キャベツバイト時にお世話になった迅さんに連絡を取り、BCデビューをすることにした。
日にちは2/19。ヤマノススメの主人公・雪村あおいの誕生日でもあった。
作品の聖地である飯能ではきっとファンたちが生誕祭を行っているだろう。
しかし白馬村にいる今、飯能は遠い。すっぱりと割り切って迅さんとどこに行くか話し合う。
しかしせっかくなので、ということで作品にも登場した霧ヶ峰に白羽の矢が立った。
それまで完全に独学だったシール登高についてアドバイスをもらいながら霧ヶ峰の山頂に立ち、いざ滑走。
日帰りとは言え山の装備を背負っての滑走はゲレンデ滑走と全然違った。斜面も当然圧雪されていない。これがBCか、という高揚感を抱いた。
雪原まで滑ったあとはまたシールを履き替えて雪原を歩く。
ゲレンデにはあれだけ人がいたのに、ゲレンデのトップからも見えるこの雪原にはトレースがあるばかりで、今は迅さんと自分しかいなかった。
なんとも言えない気持ちよさを感じながらシャッターを切った。

 

3月

せっかく白馬村に籠っているのに、全くと言っていいほど北アルプスの山に登っていなかった。
3月になったし天気も安定期に入るということで、大きめの山をやろうと友達と計画した。
今回の目的は五竜岳だ。白馬村にいると武田菱を纏った五竜岳が見えることが度々あった。武田菱とは、五竜岳の山頂付近にある雪形のことで、黒いひし形の岩たちが戦国時代の将軍・武田信玄の家紋に似ていることからそう呼ばれている。
白馬村においてもその存在感を放つ五竜岳に、1泊2日のテント泊で登ることとなった。
エイブル五竜のゲレンデトップから遠見尾根へとアプローチし、適当なところで整地してテントを張った。風も弱く快適に寝ることができた。
翌日、快晴の中、五竜岳へと向かった。
山頂からは北アルプスの山々を見ることが出来たが、特に目を引いたのが鹿島槍ヶ岳剱岳だった。
積雪の鹿島槍ヶ岳は残雪期にバリエーションルートで登られている印象が強い。五竜岳と同じく後立山連峰に位置する双耳峰の名峰だ。
対して剱岳後立山連峰とは黒部川を挟んでおり、雪深く、そしてアクセスが容易ではない。そもそも山容からして雪の有無に関わらず難易度が高い試練の山という側面も持つ。もちろん、積雪期の登頂は簡単ではない。
岩と雪の殿堂とも呼ばれているその山は、確かに厳かに、人を寄せつけぬかのように、しかしただそこに座していた。

 

4月

就職先も5月からに無事決まり、3月末に白馬村から引きあげたぼくは4月、小さな旅に出た。
自分よりも自由に生きている友人を連れ、西日本(本州)の名峰を巡る旅だ。
実家の名古屋で彼と合流するまでの間、実家を起点に自分一人で恵那山と荒島岳に登った。
しかし合流後はあまり天気に恵まれず、各地を観光しながらが多かった。それもそれで新しい発見があり楽しかったが、やはり旅のメインは登山だ。
天気予報を見ながら予定を立て、見事晴れの日に伯耆大山の登山日を引き当てられた。
夜明け前から登り始め、ところどころでは冷えて凍った雪を蹴り込みながら登る。
山頂ではご来光を無事見ることができ、下山まで余裕があったため山頂の避難小屋で仮眠を取った。
起きたあとは再び山頂へ行き、振り返ると日本海と米子の町並みが眼下に広がっていた。これまで太平洋側ないし山間部でしか生活したことのなかった自分にとって、日本海というのはとてもレアだ。
その絶景を堪能したあとは下山し、伯耆大山をぐるりと半分回るようにして岡山へと南下した。
伯耆大山は見る方角によって大きく見た目を変える山だった。北から見れば絶壁を有する山に、西から見れば伯耆富士と呼ばれるような立派な裾野を持つ山に見える。
次は厳冬期に行けたらいいなと思いながら、その不思議な山を後にした。

 

5月

ツクモグサの存在を知ったのは数年も前だったように思う。
山の友人の山行記録を読んで興味が沸いたが、当時車を持っていなかった自分にとって、南八ヶ岳へのアクセスはひどく大変に思えた。
5月の中旬ごろ、久々に登山を行いたいと思い、リハビリも兼ねて日帰りで行ける山を探した。そんなとき、横岳付近でちょうど今の時期ツクモグサの開花を見られることをふと思い出した。
知った当時は遠くに感じていた八ヶ岳だが、今となってはたいした距離ではない。
深夜に車を走らせ林道の中をガタガタと進み、桜平の駐車場で仮眠を取って翌朝出発した。
硫黄岳を越えて眼下には大同心、小同心が屹立しているはずだと思う付近にそれは小さく数株咲いていた。小さく口を開けた雛のように可愛らしく群生していた。
数枚写真を撮ったあと、せっかくだからと横岳まで足を伸ばしてみる。
1か月ぶりに近い久々の登山に疲弊しながら休憩をしていると声をかけられた。

「こんにちは。縦走ですか?」

「いえ、ツクモグサを見に来たんです」

「この先にたくさん咲いていますよ」

「この先にもいるんですね」

「向こうの方が、たくさん咲いています」

良いことを教わったとお礼を言い、休憩も程ほどに先へ向かう。
と言っても、山頂からすぐのところに分かりやすく群生していた。それも奥には赤岳だけ見える素晴らしいロケーション。何枚も夢中でシャッターを切った。
帰りに先ほど絶好のポイントを教えてくれた人に追いついたので声をかける。

ツクモグサは見られました?」

とニコニコと聞かれたので

「とても良いロケーションで出会うこと出来ました。ありがとうございます」

とこちらもニコニコと答える。
またここに会いに来よう。そう思える温かい思い出と、とても可愛らしい花だった。

 

6月

谷川岳はいろんな側面を持つ山だと思う。最も有名なのは「魔の山」としてだろう。開拓時代に一ノ倉沢の岩壁を登るアルパインルートでは数百名もの人が亡くなり、最も死者が多い山としてギネスブックにも登録されている。
しかしそれは挑戦が行われた時代と、ルートによるところが大きい。
違う側面としては「日本百名山」「花の百名山」「ロープウェイで行ける手軽な山」がある。
そして、ヤマノススメのファンからすれば聖地となる。
ヤマノススメきっかけで訪れたこの山は、その雄大な景色でぼくの心をつかんで離さなかった。
飯能の散歩気分で行ける天覧山を除けば、今まで最も行った山がこの谷川岳だ。
このときは山開きを迎えた谷川岳ヤマノススメのファン数名と訪れた。まだ山頂付近は雪が残っていたが、道中にはもう高山植物が咲き始めていた。
今年は何回行けるかな、そんなことを思いながらいつもの景色を眺めていた。

7月

北アルプス。登山者憧れの地とも言われているその長大な尾根は、日本の屋根とも言われている。
山の友人2人と、数年越しのジャンダルムを縦走する計画を立てた。連休に有休を加えた3泊4日の山行だ。
久々の20kgを越える装備と標高が高いとは言えうだるような暑さが襲い掛かり、加えて穂岳周辺特有の急峻な登山道に歩みは遅々とし、体力も削られた。
初日は新穂高から出発したが計画よりも前倒して山腹部で幕営を行い、2日目に南岳新道を通って稜線へと突き上げた。そのまま大キレットを越えて北穂高小屋へ。
しかし大キレットの終盤に雨が降ってきた。夕立だ。この山域では夏の午後は雷雨を伴うこともある。雨はつきものと考えたほうが良いくらいだ。
体感で1時間近く雨に打たれて北穂高小屋へと到着した。そのまま雨は少し続き、日の入り前にはもう上がっていた。
雨上がりの稜線を照らす夕日は美しく、越えてきた大キレットと、その奥にそびえたつ槍ヶ岳が輝いて見えた。
翌日は涸沢岳を越えて穂高岳山荘でテントを張り、あとは最終日にジャンダルムを越えて西穂高岳へ向かうだけとなった。予報では終日晴れだったが、朝1時半に起きてみると霧の中だった。準備をしながら3時まで粘ったが天気は変わらない。最終日で疲れが溜まっているし、濡れた岩稜帯を進むのは危ないとの判断を下すことになった。
ふて寝も兼ねた二度寝をし、6時ごろ起きて7時に出発。相変わらず奥穂高岳には雲があったが、涸沢と上高地は見事な晴れだった。
またも持ち越しだな、と笑うしかなく北アルプスを後にした。

 

8月

まず、一つ断っておく必要がある。立山が日本のマチュピチュと呼ばれた記事や記録を目にした記憶はない。完全に自分一人からなるイメージだ。というより日本のマチュピチュと呼ばれるところは別にある。
しかしながら標高3000m近いところに面白いように溶岩台地が広がり、山小屋やヒュッテやロッジやバスターミナルが点々としているその光景は遺跡じみていた。
12月になると4月の下旬まで雪に閉ざされてしまうが、夏には緑が溢れ花が咲き乱れる。そして名物と言えば温泉だ。
また、難所としても知られている剱岳へもこの立山・室堂から向かうことが出来る。
今回は諸事情で温泉に入ることはなく、剱岳へも行かなかったが是非ともまた来たい山だと思った。
晩秋と残雪の雪の立山で滑る、というのを目標にしたいものだ。

 

9月

ロープを使ったクライミングに興味を持ったきっかけは三つ峠山登山だった。
ヤマノススメ聖地巡礼で訪れたときに屏風岩をクライミングしている人たちを見て「面白そう」と思ったのだ。それから縁あってロープの所作を教えてもらい、装備を揃え、自分たちでクライミングをやるようになった。
今回は個人的なチャレンジの下見に来ていた。チャレンジというのは自宅からロードバイクで登山口まで、登山口から屏風岩まで登山で、屏風岩から山頂までクライミングで、三種のアクティビティを用いて自宅から山頂まで自分の足で立つというものだ。
ロープクライミングを始めて割とすぐの段階でこの目標を定めていて、20代のうちに行いたいと期限まで決めていた。
ロードバイクで自宅から三つ峠登山口までは90kmほど。箱根の峠を越えながら130km走ったことがあるのでこれは障害にならないと考えた。登山口から屏風岩までの登山はメインアクティビティが登山の自分にとってはなおのことだ。つまり、障害となりうるのは屏風岩から山頂までのクライミングセクションだった。
ロードバイクや登山に比べてハードルは圧倒的に上がる。まず、パートナーが必要となる。そして装備が必要となる。最後に、知識と技術が必要になる。
それらをクリアし、ようやく目標にチャレンジできるようになったので今回下見に来た。
想定しているルートの1ピッチ目をリードで登り、2ピッチ目はビレイする。パートナーは相当苦戦していた。そしてそのまま上に行けると思ったがどうやらそうではないらしい。山頂へは別ルートで行く必要があるようだ。
下見を終え、後ろを振り返ると晴れ渡る空に富士山が立っていた。どうか本番も晴れますように、と祈った。

10月

泉沢の存在を知ってからずっと行きたいと思っていた毒水沢・香草温泉。ただでさえ楽しい沢登りが野湯にまで浸かれてしまう。それも日本が誇る草津温泉の源泉に。これ以上ないお膳立てだった。
10月も半ばに差し掛かろうという頃、「涼しいくらいが温泉にもちょうどいいよね」と話していたが草津温泉は高所の温泉。吐く息が白いくらいに冷えていた。
なるべく水に入らないようにして沢を詰めて行き、だんだんと沢自体が温かくなっていく度にはしゃいだ。
源泉である香草温泉は壮観で、硫黄成分と湯気が織り成す景色は見事なものだった。
湯温は場所によるが40~50度くらいだろうか。底をすくえば大量の湯の花が。湯の花、などと言えば聞こえはいいがもはやそれは変色した泥と大差なかった。
香草温泉のPHは2以下。胃酸よりも強力と言われており、長湯はあまりしたくない。
したくないが、初めての温泉沢をたっぷりと満喫してしまい、下山後履きっぱなしだった沢靴を脱いでみると、足の裏がメロンのように皺になっていた。
ちなみに服に染みこんだ硫黄のにおいも数度の洗濯程度では落ちず、着る度に香草温泉を思い出すのだった。

 

11月

甲信や関東に住むクライマーで小川山に全く行ったことがないという人は少ないのではないかと思う。それくらい有名な岩場だ。「日本のヨセミテ」とも言われているそこは花崗岩が多く露出し、ボルダリングもショートルートもマルチピッチも多くの課題が作られている。
ベース地となる廻り目平は直火OKで薪もそのへんの枝を拾って来れるため、キャンプ場としても人気だ。金峰山にもアプローチ可能なため登山者の利用も少なくない。そのためシーズン中は多くの車でごった返している。
広大な岩場と良質なキャンプ場があり、しかも東京近郊から近いとは言い難い。せっかくなら泊まって行きたい場所だ。
そんな小川山にいろんな事情により日帰りボルダリングとして訪れた。
紅葉と白い花崗岩と白樺と晴れ渡った秋空はそれだけで「日帰りでも来て良かった」と思わせるに十分な景色だった。

 

12月

谷川岳が好きだ。初めて訪れたときから稜線の景色に心を奪われ、それは何度訪れても褪せることがない。
標高2000mに満たないその山は、険しい岩壁と美しい稜線と色とりどりの高山植物を有している。山は標高ではない、という言葉がまさしく当てはまる。
ほぼ毎年、無雪期と積雪期に1回ずつは訪れているように思う。
今回はBCの練習で来ていた。シール登高の練習とシートラーゲンの練習。
慣れないシール登高と突然重量が増えるシートラーゲンは遅々としてしか進まず、体力的にもひどく疲れ、下山時間を考えて山頂へ行くのを諦めた。谷川岳に行ってピークを踏まなかったのはこれで3回目だ。
同行者だけ山頂へ向かっている間に休憩を取り、途中まで登って来た尾根を振り返る。
何度来ても良い山だなとパンをかじりながら景色を眺め、シールを外して滑走の準備に移る。
ほんの少しではあるが滑ることができ、これでまた谷川岳でやれることが増えたぞと思いながらいずれ山頂からの滑走を夢見て下山したのであった。